「ホワイトカラー・エグゼンプション」は生産性を低下させる

 先日,労働者の勤務時間ではなく「成果」に対して給料を払うなどと称して,雇用主が従業員に残業代を支払わなくて済むようにする法案,通称「ホワイトカラー・エグゼンプション」が閣議決定されました。

 かかる法案が目指す雇用形態はどのような結果を生むでしょうか? 具体例で考えてみましょう。

 仮に,あるタクシー会社で,運転手に対し,車は貸与する,制服その他仕事上用いる必要な備品も貸与する,会社に連絡のあった配車依頼は公平適切に各運転手に割り振る,その対価として運転手は一定の金額を会社に支払わねばならないが,支払った後残った儲けはすべて運転手が自分のものとしてよいと定めたとします。儲けた成果分はすべて運転手のものですから,究極の成果主義です。

 ではこれでこのタクシー会社の生産性は上昇し,運転手は成果さえ上げれば自分の時間を自由に使え,会社も運転手もハッピーになれるのでしょうか? いいえ,運転手はほどなく,自社のタクシーがやたらに増えたことに気づくでしょう。この方式では,会社が増収増益を実現するには,できる限り多くの運転手と契約するしかないからです。果ては駅その他のタクシー乗り場がことごとく止まれきれないぐらいのタクシーで埋め尽くされて渋滞を引き起こすまでに至るでしょう。タクシーの需要は別に増えませんから,限られた客を運転手同士で奪い合うことになり,長時間努力しても思うように成果を上げられない運転手ばかりになるでしょう。

 でも運転手同士で競争すればサービス向上が期待できる? いえいえ,このようなタクシー会社ではサービスを向上させようという努力は各運転手の個人レベルに限られます。客に対する接遇の向上とか,コスト削減のための工夫とか,そのようなことに限られた経営資源を投入しても,会社は何も得しないからです。極端な話,運転手が定額を納めてさえくれれば,それが売上から出ようと,運転手の貯金,副収入,あるいは借金から出ようと,会社にとってはどうでもいいことなのです。運転手個人が努力しても,会社を通した配車依頼は別の運転手にも公平に割り振られてしまい,自分のところに余分に回ってくることは期待できないでしょうし,それどころか,会社から何ら教育を受けない運転手の質は玉石混淆となるでしょうから,ハズレの運転手に当たるのを嫌った客がそもそもこの会社には配車依頼をせず,その結果自分に回ってくる配車依頼も減るということさえありえます。さりとて,運転手個人に直接連絡を取って配車を依頼する客など決して多くはないでしょう。結局多くの運転手が会社に支払う金を調達するために借金まみれになったあげく辞めていき,会社は事情を知らない人を新しい運転手として採用する,その繰り返しになるでしょう。タクシーが世にあふれる結果,他のタクシー会社も困窮するでしょう。社会問題化すらするかもしれませんが,雇用形態自体にメスを入れられないのであれば,「やはりタクシーの台車や料金は規制すべきだ!」などとカルテルに安住する世界に逃げ込むしかなくなるでしょう。

 問題は,この雇用形態では,会社と運転手(従業員,と言い換えてもいいでしょう。)の利害が一致しないことにあります。会社は組織で仕事をするのです。従業員個人個人だけが仕事し,努力すればよいのなら,会社も経営者も要りません。生産性の向上は組織的な努力があって初めて実現します。有名な「カイゼン」も現場の努力を組織的に活用しようという経営者側の努力がなければ実現し得ません。生産性が向上するには雇用主と従業員とが互いに同じ方向を目指して努力する必要があります。そして,そのためには,雇用主と従業員とが利益とリスクとを公平適切に分かち合う必要があるのです。上記の例で運転手が成果を上げられなくなったのは,決して運転手(従業員)個々人の努力や能力が不足していたからではありません。経営者がすべき仕事をしなければ,従業員個々人の努力や能力ではどうにもならぬことがあるのです。タクシー運転手のように個々の裁量が大きそうな仕事でさえそうなら,もっと組織的に仕事をする他の仕事はなおさらそうでしょう。にもかかわらず冒頭の法案は成果が上げられない原因を従業員のみに帰し,成果を上げられないリスクをすべて従業員に負わせようとしています。なるほど,能力や努力が不足しているために成果の割に時間ばかりかかる従業員もいるかもしれません。しかし雇用主には,そういう従業員を指導し,査定し,結果が出せなければ場合によっては減給したりすることができる権限があるはずです。そのような権限を適切に行使するのが彼らの仕事です。冒頭の法案は,自分の仕事ができない雇用主を助けるだけです。有能で勤勉な雇用主にとっては,負けるはずのない競争相手を支援されて迷惑なだけです。仕事のできない経営者は自分の仕事は楽になるので生産性が上がったかのように錯覚するかも知れませんが,経営者が仕事をしなくなる結果,企業全体,業界全体としては,生産性が下がるでしょう。

ホワイトカラー・エグゼンプション」は仕事のできない経営者個人以外,だれの利益にもなりません。企業の競争力,業界全体の生産性,国家全体の生産性にとって,マイナスの効果しかありません。即刻廃案,いや法案提出自体をやめるべきです。